孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)



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孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)
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ルソーもまた、自己沈潜こそが究極真理への道であることを喝破された

ジャン・ジャック・ルソーを晩年狂人であった、とする者は多い。ジイドは良き彼の理解者であったものの、ヒューム等の諸友を失い、また、ボルテールをして“狂犬病に罹ったデイオゼネスの犬”といわせしめた。ビュリンチエールは“告白録、対話録、夢想これらは狂人の書”と、ラセールにあっては“彼を理解する頭をもちあわせてはいない”と述べたという(本著後書改変)。一方ゲーテは言った“君自身に戻りたまえ。そうすれば君はそこに、高貴な精神の持ち主なら、その存在を疑い得ない中心点を見いだすだろう”。私が本書を手に取ったのは三十歳前であった。その時分は、ルソーの異様な自己執着に嫌悪を催し、中途で投げ出した記憶がある。私も当初“狂人”とみなしたのであった。不惑を迎えた私は今一度本著を紐解いてみた。感性が果たしてかわったのであろうか。古今東西の哲人・賢人が喝破してきた“真理”への道程を、私はそこに読み取ることができたのである。訳者青柳瑞穂氏はあまねくジャン・ジャックへ共感をもって彼の言葉を後記する『自分自身の中心にもどってそこに社会道徳の芽を見いだすことである。良心に訴えて理性や感情の誤謬を訂正し、欲念をなくして、内面の声に、自然の直感に傾聴すべきである』、『自分自身の中に沈潜すること、自分の中にのみ生きること、自分を制御すること』、かつ『人は事物から遠ざかり、自分自身に従ってはじめて地上で幸福になりうる。黙想しなさい。孤独を御求めなさい。哲理を考えるためにはまず自省しなければいけません。一人でいても退屈しないことを学びなさい。いよいよ人間が好きになるものです』。エミールなどの不滅の名著を記した偉者が“狂人”であろうはずがない。ジャン・ジャックは“人間”を愛するがゆえに、究極“俗人”を離れ孤独に回帰したのである。これは釈尊、トルストイに通じ、そしてソローへと継承されるのである。私はルソーが好きになった。
自己沈潜

作品のタイトル通りに「孤独」です。何もない自然の広がるところで、誰と語ることもなく散歩をして思いに浸る―それは物凄く寂しいことです。世界を捉えるうえで理性さえも放擲してしまう、それは解説の書簡の引用に見られます。「理性は私を殺す。私は健康であるためには、狂人であってもいい」本文の中には繰り返し同じ言葉が出てきますが「零の存在」という言葉が一番印象に残っています。ひとつの疎外感を表した象徴的な言葉のような気がしてなりません。自分をどの世界に溶け込まそうとするのでもなく、ただ自分の内面において、形而上の世界において、自分自身にだけ語られる言葉です。人間が学び、何かを知ろうとするのは、自分の根源的な問いに答えるための行いであると思います。他人に教えるためでもなく、自分自身を知るためです。
「僕はちがう、自分が学ぼうと思ったときは、それは自分自身を知るためだったからで、教えるためではないのである」(第三の散歩)
狭い「私」という一人称の世界で語られるとき、「独断である」「固定観念に毒されている」などの批判がありますが、その一方で人間が自己の中で内なる広大な精神に思いを馳せたとき、このように際限のない世界があるのだと反面気づかされます。内なる自然も、ひとつの外なる自然と同じです。それは各々の判断ですが、私は
「自分自身を忘れるときのみ、はじめてこころよく思いにふけり、思いに沈む」(第七の散歩)
という自己忘却するくらいの夢想に賭けてみたい気持ちになります。
ついに諦念極まる

ルソーが人生の酸いも甘いもすべて経験した後に語る究極の老境。かなり被害妄想・疑心暗鬼に満ちて始まるが、読み進めるうち、書き進めるうちにそれは安らかな諦念となり、まるでマーラーの「大地の歌」を聴くような気分になる。両者ともに懐疑のエネルギーを以て開始するが、最期にはささやかな人生と世界への愛情、そして告別を以て終わるのである。

ところで本著であるが、私はショーペンハウアーの人生論に非常に近いものを感じた。彼の幸福論は徹頭徹尾ネガティブで、「人生最大の幸福は、徹底的に不幸を遠ざけることにあり、他にはない」と言い切る。このような人生観は、万人に共通するものではむろんない。ショーペンハウアーが「偏狭な天才」(シュタイナー評)と呼ばれる所以はここにあり、彼は世俗を疎みながらも、世俗の人達が本質的には自分と同じ質の人間であると勘違いしている。

ルソーはそれに比べ、哲学的アフォリズムという形体を採っておらず、いわばエッセーのとつとつと語る味がある。実際、彼のように老いて自然に立ち戻る、というのは人間本来の姿であろう。私たちは、あたかも自らの老後を先行体験するかのような気分にさせられる。この二人の語る老境は、決して万人にあてはまるものではないことは明白だが、同質の人間にとってはこのうえない慰めとなりうる。彼らに共通する考えは、老いが基本的に若さに劣ったものではないということだ。
私たちは、老人にはネガティブなものしか見ない。「だから今のうちにやりたいことをやっておこう」という論法である。実際、現状の老人達の在り方を鑑みると、これも頷ける。彼らは「自分たちは燃えかすだ」と自認してしまっているのである。だから彼らの楽しみは完全に受動的であり、消費的であり、何者も生産・建設できない。
このような老いに疑問を持つ読者にとって、本書はおおいなる拠り所となりうる。しかし何度も言及せねばならぬように、このような老いは、万人に楽しめるものではない。私は非常に個人的に、私自身そういう質の人間であることに、密かに安堵している。
老翁との交流

ルソーの作品に触れたのはこれが最初でした。
とても重い作品です。
しかし社交界で挫折した老翁は、孤独を積極的
に楽しみ、飽くまで明るい。
自分の夢想を書きとめる日課を通して
老作家は彼自身のみならず、読者にも孤独の本質を
語りかけてくるのです。
少なくとも
人との軋轢に苦しんでいる私にとって
これほど共感できる作品は、貴重です。



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